法螺貝演奏
法螺貝の練習始めて2年!2010年6月 大峯奥駈で法螺デビューしました。
昨年から裏山でほとんど毎日練習しています。練習方法は自己流?法螺のテープとCDを
購入して、耳で音階を覚えて、後は自己流で吹いて、吹いて吹きまわっています。変なおっさん
の立螺です。2012年1月8日ボランティア仲間の河内バラバラ迷人祭りでのひとコマです!
息子がビデオに撮ったのをアップしてくれました。お恥ずかしいかぎりです。博泉 拝
法螺貝の練習始めて2年!2010年6月 大峯奥駈で法螺デビューしました。
昨年から裏山でほとんど毎日練習しています。練習方法は自己流?法螺のテープとCDを
購入して、耳で音階を覚えて、後は自己流で吹いて、吹いて吹きまわっています。変なおっさん
の立螺です。2012年1月8日ボランティア仲間の河内バラバラ迷人祭りでのひとコマです!
息子がビデオに撮ったのをアップしてくれました。お恥ずかしいかぎりです。博泉 拝
恒例の池口恵観先生の新春お祓いと新春の集いが
京都駅ビルに在る
ホテルグランビア京都で開催されました。
今年は昨年より多い600名の参加者で会場は一杯です!
16時過ぎから東日本震災チャリテーのコンサートが始まり、まず最初は鹿児島県から駆けつけてくれた
津軽三味線の若手第一人者の石井さんです。
二番手は洋楽?
バイオリン二村英仁、チェロ金子鈴太郎さんの演奏です!流石トップ演奏者だけあって素晴らしい!
続いて女優の中野良子さんのトークのアジア大会で日本を代表して歌って踊った
サクラを披露して盛り上げていました!
私師僧のお供?だったので舞台近くのいい席に座らせて頂きました。
メンバーは驚きの
新井、金本選手 作家の家田荘子さん、津軽三味線の演奏者の石井さん等と一緒です!
新井は席に来ましたが金本選手は席に来ずじまいです。残念です!
私の師僧は池口恵観先生の高野山大学の同級生で大の親友です!
池口恵観さんの本の中に師僧の名前が時々でています。
もちろん師僧は池口恵観先生と同じ席です!
池口恵観先生のお祓いは本当に凄い!凄いと云う以外言葉が無い!
今年はいい年になる為の準備期間?
そんな印象を受けました。
私も今年は加行受けるし大学院も卒業したい!まだまだ前途洋々や……!?
今京都から電車で帰っています。
恒例の近大春秋会新年会が今年も大阪ミナミの道頓堀大和屋本店で開催されました。
新年会の場所が大和屋本店に変わって今年で早4年になります。
幹事が、大阪府の課長なので大和屋を選んだみたいです!
それを写真の女将さんの主人が我々と同じ近大卒業生やからかな……!?
場所が堺筋日本橋の道頓堀のたもと!と云う立地の良さと
1万円の予算で料理、お酒が飲み放題?それにお土産まで付く!
幹事としては有り難いお店です!
私は時間を間違えて30分遅れてしまい
肝心な料理の写真をアップできませんでした。
代わりに本日の料理のお品書きをアップしました。
料理は食前酒を入れて、14種書かれています!
帰りの電車の中でブログアップしています!
ひさしぶりに旧友や先輩、後輩と話せてまた明日から元気でやって行きます!
澄禅さんの足跡を検証する為に調査していると
江戸期の讃岐街道が西に西に移動している事がわかりました。
まず、1600年作成の阿波国絵図では新吉野川の位置は西貞方村と東貞方村の間から
勝瑞の東側を通って古吉野川を渡っています。
次の1641年 寛永18年 澄禅さんが遍路に出る12年前に製作された阿波国絵図になると
西貞方村の西側から住吉村・成瀬村を通って成瀬渡し 楠の渡しを通っています。
次に、1700年 元禄13年製作の阿波国絵図では、新吉野川の場所は同じだと思いますが?
その先から徳命村と西貞方村の間を通って奥重・竹瀬村から竹瀬の渡し 川端渡しを通って
います。一番西側が江戸後期の讃岐街道が最後の図です。これは、ヤフーの地図上で
確認しました。阿波国絵図は、徳島大学図書館蔵の絵図を参考にしました。
ヤフー地図上の航空写真を見ると成瀬の北側・JRの鉄道線路沿いまでに民家は
ほとんど在りません!(写真2枚・古吉野川北岸近くの田んぼ道より北側写真です)
多くがレンコン栽培地になっています。
澄禅さんの時代から360年経った現在でもこのような状態です!
澄禅さんの時代は川幅はおそらく現在の耕作地のほとんどであったと想像出来ます!
この辺りは、川の名残でレンコン農家が多いようです。
霊山寺の位置関係から見ても、澄禅さんの日記の記述、霊山寺より南に行きて、
大河を舟で渡り、島瀬 (成瀬 鳴瀬)に渡った。そして井戸寺近くに出た。大道!
大きな街道 「讃岐街道」を通って徳島に出たと、考えるのが妥当だと推測しました。
讃岐街道がなぜこうも西に移動したのか?それは江戸初期の徳川幕府の政策に
影響を受けた様です。詳しく調べた訳ではありませんが、徳川幕府が一国一城政策
を決めたので阿波の国にあった出城?(たしか?六城?)を取り壊してそこの家臣を
徳島城下に集めたため、徳島城下に収容出来なくなり、佐古から蔵本近くまで
広がったので、伊予街道から讃岐街道に分岐する位置が蔵本地福寺近くにまで
移動した事が大きな理由の一つと考えられます。もう一つは、讃岐街道は大寺から
大坂越え道に入るからだと推測します。
その結論を出すに至った資料の一部をアップしました。藍住町の渡しと地蔵尊
分布図は徳島民俗学会の橘禎男先生より送って頂いた資料です。橘禎男先生には、
澄禅さんの第一日目峠越え(馬場尾、地蔵越え)の位置、三日目の峠(府能峠)越えの
位置等いろいろご指導頂き一緒に歩いて私の研究に付き合って頂きました。
厚く御礼申し上げます。
私の研究に、何かおかしいところや何かご指摘やご助言宜しくお願いします。
澄禅さんの日記、霊山寺からの道がどう行ったか、ヒントの島瀬の渡しが一年かかっても解らなかった!
それがひょんなきっかけで糸口が見つかった!
昨年12月の始め
いろんな調査の時に、藍住町図書館館長さんの一言のアドバイスで始まりました。
島瀬! 島の横に何か在りませんか?
凄いヒントでした。
現在では成瀬と云う地名は無くなっていますが、澄禅さんが歩いた12年前に出来た、阿波国
絵図には讃岐街道は成瀬を通っています!
また、吉野川の開削工事は1672年に始めて行われた事が国土交通省発表の文献がある
ので、澄禅さんが歩いた 1653年の吉野川本流は古吉野川である事が証明されています。
日記の記述から船で島瀬に渡って居る事は間違い事です!澄禅日記の原本を確認しまし
た。その島瀬ですが、日記の原本では、「鳴」 「 嶋」とも読めるように書かれています
間違いなく原本は「島」とは書かれていませんでした!凄い発見でした!
成瀬は昔 鳴瀬とかかれていた事は 角川書店の地名検索?で証明されていますし、藍住町
の資料にも在ります!成瀬の隣の乙瀬も昔は音瀬と書かれていた事があります!吉野川は
成瀬の所で大きく曲がっています。その分川の流れが速くなり水音が騒がしかったのでは?
と、想像します。鳴門の潮の音から「鳴」となったのと同じではないでしょうか?
それも在りますが、地元の古老(写真の人85歳、先祖伝来此の地に住んでる農家、写真の家)
広瀬さんから貴重な話しを聞かせて頂きました。広瀬さんの家の北東すぐの所に成瀬の渡し
の船着き場があって薬師堂があったそのです。成瀬の渡しの北川の渡し場を楠木の渡しと
云う!その渡しの事は調べて良く知っていたので、飛び上るほど嬉しくなりました。歩いて足
で調べるといいことがありました。その薬師堂跡は現在は成瀬集会所になっていますが、石
仏等が在り、直ぐ西側にはお地蔵さんの小屋もあります。!又昔は なるせ観音が有名だっ
たそうです。薬師堂跡の東側近くに真言宗高野山派のお寺「法音寺。最後の写真のお寺」が
あったのでお参りすると、住職さんがおられていろいろご指導頂きました。
法音寺は元の位置より少し北側の現在地に移転しているそうです。だから澄禅さんは此の
位置のお寺は見ていません。住職さんに広瀬さんの話しをすると、広瀬さんは地元でも物知
りな人らしい事がわかりました。
つい近年も私と同じように、成瀬の渡しに付いて聞きに来られた人がいたそうです。
この内容は本当はもう少し後で発表しようと思ったけど、今日柴谷先生と中村本念先生に話
したので急ぎ発表しました。
只資料を見ずに携帯でアップしているので後でパソコンで修正します。
高野山大学で初心加行を受ける為に高野山に車で行きました。
大阪は、ぽかぽか陽気?だったのが、高野口辺りから様子がおかしくなり
だんだん気温が下がりだしました。
高野山に近づくとついに気温は0℃道路に雪が残っています!
私の車はノーマルタイヤです!
金剛峰寺前の駐車場に入るのがやっとです!写真のとうり雪で車では高野山大学にはとて
も入る事が出来ません。
又足元は草履です、車外に出る事も出来ず、慌てて下駄を買いに行きました。その後やっと
大学に行き、指導教官の中村本念先生にご挨拶に行き校内で雪景色を撮っていて滑って転
んでしまいました。そこへ柴谷先生の車が来て、何時もの澄禅さんの話しになりました。
内緒にしていた話しをすると、先生の研究室に来る様勧められて、先生の車に乗せられ
先生の研究室に行きました。先生の発表論文に、私の研究と違う所が多々在ります!?
澄禅さんの最終日歩いた道もその一つです!島瀬の渡しがそうです!柴谷先生の説は
島瀬の渡しが、新吉野川の隅瀬の渡しになっているのと、吉野川開削年代が澄禅遍路より前になってい
る!ここが私との大きな違いです。だから柴谷先生の説の道より、私の説の道の方が
約2。5キロ程西になり、日記の「井戸寺近くにでた」との記述に合致するとおもいます。
その島瀬の渡しが文献を参考に私が発見した、成瀬の渡しである事を、詳しく説明して来ま
した。[1]吉野川の開削が国土交通省の資料によると1672年であること[2]1641年製作の阿
波国大絵図には讃岐街道は成瀬を通っていることを徳島大学図書館蔵に資料があること。
[3]島瀬の渡しが成瀬の渡しである根拠、成瀬は昔 鳴瀬と呼ばれていたこと(角川辞典)等
等。実際先生のPCを開いて徳島大学図書館の阿波国絵図で確認してもらいました。
私修士論文のテーマが澄禅の四国遍路日記の検証です。そのために2年近く研究調査して
実際にその道を歩いて検証して来ました。指導教官は柴谷先生担当と同じ中村本然先生で
す。そんな訳で柴谷先生の研究をへんろ新聞で読ませていただきました。御縁ですね!
16時30分からの説明会に出るため余り時間が無く私は大菩提院に行きました。
帰りは高野山の気温は−2.9℃ノーマルタイヤで冷や冷やしながら帰って来ました。
この後島瀬の渡しに付いて発表します。
我が祭り家会新年会イン大黒殿
祭り家会の行事には何時も八尾市長が参加してくれています!
有り難い事です!
忙しいのに、河内音頭の普及や発信に熱心な市長ですね…!?
私は同じ大学の同窓生ですので特別な感情が在ります!
我が祭り家会のメンバーはみんな凄いですね……!?
ボランティア仲間だけど、ほんとうにいい仲間です!
宴会オープニングは大黒殿女将さん?住職の特別出演の大黒さんの舞いです。
踊りはお師匠さんだけあって上手い!新年会にふさわしい踊りで盛り上がりました。
その後、先日の10周年のCDを上映して皆で、批評?反省や、喜んだり?
今後のステップアップの為の意見があり、後はカラオケタイムに入りました。
トップバッターは私目がトンボでスタートです。
この後、私はNさんのお通やと陽親会役員会の為途中で新年会を抜けていきました。
祭りや会のみなさんごめんなさい!